Sroty
インタービュー
DEOのマイストーリー
障害福祉のスタッフにもなりたかった税理士
高校時代に進路を決める時、元々は小学校の先生になることが夢でした。しかし、「税理士という仕事も社長さんや事業主さんに物事を教えるという意味では同じだよ」という何気ない父親の一言で税理士を目指すことになります。父親には税理士の資格はありませんでしたが、税理士事務所のスタッフとして長年勤めてきた経験と知識がありました。当然業界のことは詳しく、私が税理士になって悩んだりした場合、良きアドバイザーが居るという安心感もあることから、税理士を志します。
税理士になるルートはいくつかありますが、最も少ない大学院の修士課程をダブルで取得するというルートを選びます。試験が苦手な私にとって、とても有利な制度でした。大学及び大学院と、8年間の学生生活で支援を受けた奨学金は、未だに月々返済しています。ある意味まだ卒業できてない状態です。この大学院時代に得た知識や経験が、私や今ある私の会社の目指すべきものを方向付けている気がします。
大学院時代に下宿していた近所に、障害者スポーツセンターがありました。そこで募集していたプールの監視員のバイトをやることがきっかけで、障害者のスポーツボランティアをするようになります。主に自閉症児を対象にしたマラソンの伴走や、音楽療法を取り入れたレクレーションなどを通じて、運動不足や情緒不安定に陥りやすいみんなと一緒に、体を動かす喜びを体験させて頂きました。そのようなボランティアをする中、公認上級障害者スポーツ指導員の資格などを取得し、このような活動の中で得た経験は、新鮮でかなり楽しく充実したものでした。卒業の時に障害者の分野への就職と、当初より夢であった税理士分野への就職、両方の進路先が候補として上がる中、どちらにするか迷いました。正直な話、その当時の私にとっては障害者分野の方が性に合っていたと思います。しかし、障害者のボランティアで関わっていて感じていたことが、税理士分野への就職を決定づけました。
障害者の作業所などで製作する授産品は、今のように工夫された物ではなく、廃油で作った石鹸などで、到底売れるような物ではありませんでした。障害者の親御さんや関係者は、行政に補助金が少ないことを理由に経営が苦しいと訴え、合わせて補助金の増額を訴えていました。授産品の内容やパッケージング、売り方や宣伝の仕方など、改善余地は沢山あるものの、それらのことにはあまり触れられず、行政に対する要望だけが目立っている状態でした。また、個人や任意団体で作業所を運営している事がほとんどで、法人成りの考えもなく、色々な組織の運営や経営に対する知識が極端に不足している気がしました。この当時NPO法が施行されて数年がたっていましたが、まだまだNPO法人というものが浸透していない状況でした。
「障害者のスポーツ大会が開催されるので現場スタッフが必要です。当日数名どなたか参加してくださいませんか」とお願いすれば、苦労するかもしれませんが、なんとか頭数を揃えて開催することはできます。しかし、こと組織の運営や経営に関するアドバイスをするというボランティアはその当時いない状態でした。私はそのような現状を目の当たりにしたことで、性に合っている障害者分野への就職ではなく、当初から目指していた税理士としての道を選択します。あえて別の分野からの視点で障害者分野をサポートできるようになりたいと思ったからです。
二足の草鞋
税理士事務所へ就職した当初は、頭の中は障害者のことばかりでした。まだ税理士の仕事もろくにできない状況でありながら、仕事と並行して障害者のスポーツボランティアも行う毎日を過ごしていました。就職して直ぐに税理士の知識を障害者分野に活かそうと、行っていたスポーツボランティアを組織化するためにNPO法人を自ら立ち上げ、私は事務局として関わっていきました。外勤の度にジャージを鞄に忍ばせて、車の中で着替えてスポーツ指導を行い、終わったら再度スーツに着替えてお客様のところへ行く。このような毎日に無理が生じ始め、またNPO法人の仲間達も自分たちの仕事や、やるべき事が増えていったことで、スポーツボランティアの活動にだんだん参加できなくなってきました。その内、私と数名だけの限られた活動になり、徐々に法人運営の継続が厳しくなってきたころ、ある社長に大きく叱られます。「君がやっていることは素晴らしいが、本業の方もまだろくにできない状況で二足の草鞋を履くとは、あまり税理士の仕事をなめない方がいい。そんなに簡単な分野じゃないだろうし、そんなこと続ければいずれ両方信用を無くすよ」
自分でも感じ始めていた頃でしたし、ごもっともな意見で、なにかとても恥ずかしくなりました。そこで、NPO法人を解散し、がむしゃらに税理士の仕事に没頭し、少なからず「自分の仕事は税理士です!」と人前で言えるくらいにはなるよう、10年間努力することに決めました。一生極めることは難しいとは思いますが、税理士の仕事を税理士として堂々と行える時が来た時に、再度障害者の分野に戻ってこようと決めました。
歳をとりたい
就職した税理士事務所での修業期間を終え、27歳の時(平成16年6月)に個人で独立開業(税理士法人TAパートナーズの前身)しました。開業はできたものの、思った以上に仕事は難しく、世の中の流れや事象について理解するのがやっとという感じでした。税務はもちろんのこと経営や時事問題、はたまた地域の景気や業種ごとの事情など、お客様である会社の社長さんと直接お話させてもらう仕事で、どの職種にも共通することですが、経験がものをいう仕事でした。経験を積みたくて焦るばかりで、早く歳をとり経験を早く積んで、良きアドバイスができる税理士になりたいと思っていました。しかし、別のある社長さんからまた叱られます。歳をとりたいとお話しした時「歳をとりたいなんてことを2度と言わない方がいいな。普通の営業マンであれば担当のスタッフさんに会うのがやっとのところ、あなたは税理士という国家資格を有しているおかげで、その会社の最高責任者である経営者のところまで案内され、さらにそこで社長さん達から赤裸々な体験談や従業員や奥様にも言えないような相談を直接受ける。社長自ら経験した嘘偽りのない話を聞くという事は、ほぼあなたが体験しなくても経験したことと変わらない。それくらい社長さんから聞く情報は、質の高いものだと思うよ。そのような社長さんの良い話や悪い話、色々な経験を全て吸収して、困っている他の社長さんへのアドバイスに活用すれば良いし、間違った方向で会社経営をしそうな場合は、それで失敗した事例をお話しし、軌道修正してもらうきっかけを作ることもできる。せっかく若くてフットワークが軽い時期という事もあり、毎日色々な会社へ赴いてその話を聞いて疑似体験することができているのに、年をとって動きが悪くなると、このような疑似体験が中々できなくなる。それだと良い経験も積めないし、人の何倍も経験ができるチャンスを棒に振る。歳をとりたいなんて言ったらいけないね。」成長を焦るだけの私にとっては目から鱗でした。今やっている仕事がいかに貴重な体験をさせてくれる仕事で、またそれを上手く活かすことで、様々な会社や事業を成功に導けるものだという事を気付かせてくれる言葉でした。それからというもの、現場を四六時中回る日々が始まります。社長さんに色々アドバイスするというよりは、教わりに行く、そんな気持ちで訪問する日々でした。意識を変えて取り組みだしたことで、不思議とお客様も徐々に増え、一応順調に事務所経営することができてきました。
不況税理士
バブルを知らず不況しか知らない「不況税理士」と普段冗談で言ったりするのですが、経済が厳しい時期にこの仕事をやってきている事もあり、担当していた社長さんが2名借金苦の末自殺されたり、自己破産をするお客様がいたりと、自分の実力のなさを痛感する出来事が続きます。その度に落ち込んでいる私を回りは「あなたが悪いわけではない」と言ってくれはしますが、経営をある程度信用して任せてくれている以上はやはり不甲斐なく思います。私なりにこのような経験の元、倒産しやすい会社や事業の特徴なり、様々なことを勉強することはできましたが、なにか犠牲の上に成り立った経験なので、未だに辛くはなります。ここで得た教訓は「死んでも何にも変わらない」ってことです。借金などで資金繰りが悪くなった会社さんに、私が口酸っぱく改善点などを提案し続けます。そもそも提案がリストラ策にならざるを得ないので、社長さんから煙たがられます。だんだん私も嫌がられているので疎遠になっていきます。そして事件が起きます。そんな経緯で保険金が会社に入金されたとしても、残された組織の中身は全く変わっておらず、一瞬お金が入ってくるので資金繰りは良くなるのですが、根本が変わってないので事件前と同じように資金繰りは悪くなります。私の最後のアドバイス「死んでも何も変わりませんよ」。一度この最後のアドバイスで、自殺しようとした社長さんを止めたことがあります。今では別の事業を細々とですが続けられています。勝ち負けではないですが、1勝2敗で負けています。負ける様なことは金輪際したくないと思っています。
20代から70代
 法人成りするきっかけとなったのは、修行先の大先生に跡取りがいらっしゃらない事が出発でした。いずれは一緒にやっていくという話も出ていたので、この際今のうちに一緒にやっていこうという事になりました。さらに大先生の大先生、私の大大先生に当たる方も跡取りがいないという事で一緒に、また別の先生の事務所で働いていたスタッフさんを、その事務所の先生が亡くなられたことで、お客様と共に引き受けることになりました。大先生たち2つの事務所の先生とスタッフさん、引き受けた一つの事務所のスタッフさん、共に私より年上の方ばかり、仕事のやり方も全く違う状況で、当初は組織を私のやり方に変えようと必死でした。しかし、それはそもそも無理な話でした。私の倍以上生きて税理士の仕事をしている方々や私以上にお客様と接している方々を、若い代表がとやかく言っても経験に勝るものはなく、諸先輩方のやり方も経験の下で得たもの、全部を否定することがおかしいと気付くのにかなり年数がかかりました。良きものは真似をし、無理に変えようとせず、新しい物事の考え方や経済の動き、新たな法律などの自分なりの解釈を諸先輩方にも押し付けず理解してもらい、新たな今後についてしっかり対応していくことこそ大事だと、身を持って教えられた気がします。そのような考え方のおかげで今では組織の構成として、20代から70代の男女が入り乱れるという、とてもユニークな老若男女組織となっています。まとめるのは大変ですが面白い、今は本当にそう思えます。諸先輩方は、「また何か始めだしたぞ。あの代表は」と冷や冷やしている感じもあります。しかし、私が何か言われる前にササっとやってしまうので、今では黙って見守ってくれています。
新分野への挑戦
がむしゃらに税理士をやっている間、障害者の分野に参入して、会社で打ち出していくのが正しい事なのかどうかわからなくなってきました。数名のスタッフを雇いしっかりと会社で利益を出して昇給して、組織として確立させないといけません。既に法人成りもしており、独立時とは違って仲間も増えていました。障害者分野の団体は経営がうまくいっているかといいますと、支援したいと私が当初から考えていることから分かるように、うまくいっていない団体が比較的多く存在する分野でもあります。その分野に対して参入するという事は、なかなか我々としても多くの収益を得にくく、しっかりと利益を出すことが難しい若しくは赤字になってしまうことになります。開業して全く障害者分野のお客様がいなかったかというとそうではないですが、既にお客様となって下さっている団体は、それなりの規模でやっているところなので、収益面でこちらが心配するようなことがありませんでした。しかし、本格的にサポートしたい団体は、もっと小規模で事務の進め方や決算の組み方もわからないような団体を応援したいと考えており、会社として考えた時にこの分野では赤字を出してしまうという不安がありました。仲間を雇用している以上、そのような分野に切り込んで参入するという選択が難しい、もしくはしてはならないことと思い始めました。障害者分野を仕事としてやっていきたいという思いで税理士分野に飛び込んだにもかかわらず、組織や仲間を守るという思いがけない自分の思考に少し困惑し始めていました。
ある日NHKの番組だったと思いますが、山梨県の日立建機の子会社の特集がありました。建機のリースと販売の会社で、県でその分野№1をずっと維持し続けているという事でした。営業力がとても凄いのだろうと見ていたのですが、急に画面が変わり、ショベルカーの先になにやら大型のスクリューのような装置を付けたものが現れ、地面を掘削し始めました。時折爆発するのですが先についた大きな鉄板のようなものがその爆発を防ぎます。何をしているかというと地雷除去でした。地雷除去といえば畳1畳分の除去作業を人の手で1日かかるそうです。それをものすごいスピードで掘削しあえて爆発させることで人の何百倍もの速さで除去することが可能となるそうです。また除去が終わった後、先を普通のショベルカーのスコップに変えると、除去した用地をすぐ造成することも可能というわけです。すごい仕組みなのですが、そこの社長の話によると、「その開発費でこの事業は当初以来ずっと赤字が続いている」と笑っていました。しかしこの事業は本業の建機のリースや販売に思わぬ影響を与えているそうです。「地雷除去している会社でしょ!そんなことをしている会社なら間違いないね。私も一つその事業を応援したい」という感じで、応援者が増え共感を呼び、本業の営業をとても楽にしているそうです。本業をサポートする赤字部門。さらにこの赤字部門がこの会社のブランドを作っている。
この番組を見て気付かされました。まさに私がやりたい障害者分野は、赤字若しくは良くてプラスマイナスゼロに持っていくのがやっとです。その赤字が仲間達や組織を苦しくするとばかり考えていましたが、何も苦しい事ばかりではないということです。「小規模な障害者の団体に支援を行っている税理士事務所に、うちの経営指導をしてほしい。」「そのような事務所を応援するためにも取引させてください。」このような会社ブランドをこの分野で確立できれば、本業部門をしっかりと補完することができる。そのような役割として障害者分野の団体支援を位置づけることができれば、赤字でも問題ないという考えに変わっていきました。
当初の予定通り10年税理士業務に励み、少しは「税理士です」といえるようになった頃、平成25年より(当時税理士2名スタッフ12名)新たな分野にチャレンジしています。現在少しずつではありますが、障害者分野の団体を数団体ほど支援させて頂いております。法人格も様々でNPO法人・一般社団法人・社会福祉法人や普通法人、多岐にわたっています。まだまだ障害者分野を全面的に支援しているイメージが会社に付いているとは言えませんが、少しずつですが浸透している感じがします。
以上が、今までの私の経緯となります。最も我々を必要としている現場へ我々の知識と経験を提供したい。そんな思いで新しい分野に取り組んでいる最中です。人一倍会社経営の実践を疑似体験できる職場環境と自負し、また率先してそれを経験し、多種多様な世代の知恵と共に、経営の本質的なことをアドバイスできるように、会社全体で取り組んでいきたい。何か聞こえはいいですが、全てお客様やスタッフさんに気付かされた13年でした。この思いを実社会で活かしていく団体を目指します。(平成29年8月現在)